木花

コノハナ

「魂の秘境から」

十日、石牟礼道子さんが 亡くなられた。

 

心のなかの芯が一本、無くなったような気持ち。

 

昨春から、朝日新聞に毎月下旬

石牟礼さんの文章が載るのを楽しみにしていた。

 

「椿の海の記」の一節に

「(前略)生命界のみなもとを思っただけでも、

言葉でこの世をあらわすことは、

千年たっても万年たっても出来そうになかった。」

とあって、あぁ、と想ったのだった。

 

言葉はいつも、わたしには扱い難くて

いまのこの感覚を、どんな言葉に変えたら

目の前の人に伝えられるのか判らない。

 

一言一句間違えないように、綱渡りのように

言葉を選んで綴っても

紙面の向こうの人に伝えられる気がしない。

 

石牟礼さんは、出来そうにない、と書きながら

言葉でこの世をあらわしてきた。

そのことのできる、数少ない内の一人だった。

 

石牟礼さんの本を読み返す。

繰り返し、繰り返し、言葉でこの世をなぞってみる。

このひとより、いのちを知っている人間がいるだろうか。

 

 

わたしは言葉では、うまく言えないことが多い。

だから手で縫うのかもしれない。

言葉の代わりに、一枚の衣を差し出したら

わたしの居た世界が、そのひとにも見えるだろうか。

感じた世界を、そのひとも感じてくれるなら

その方が、言葉よりもずっと伝わる気がする。

 

冬休みをいただいて 心が少し落ち着いて

写真をまた、取り始めた。

どうして撮るのか判らないけれど

これも言葉の隣にあるものと思っている。