木花

手しごと コノハナ

九月十日の美杉むらのわ市場

明日の市場は

お結び弁当と手縫いもの

どちらも少しずつ、ですが

予定しています。

 

グラフィックデザイナーの武田さんとつくった

素的なむらのわポストカードも販売します。

 

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ぼやぼやっと過ごしているうちに

ひと月が経ってしまいました。

 

涼しくなってきて

ようやく畑もすっきりしてきたような。

 

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そろそろ新しい始まりです。

 

 

 

 

 

 

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むらのわ@ヒストリーパーク

十三日日曜の美杉むらのわ市場は

美杉町の下之川という地区にある

キャンプ場での開催となりました。

むらのわ始まって以来、初めての

別会場開催です。どうなることか

楽しみです。緑鮮やかなイメージ。

 

今月、お結び弁当はお休みをして

下駄を並べてお待ちしています。

 

手弁当で楽しんでいただけたらと

(人任せに)思ったりしています。

 

詳細は、コチラ

美杉むらのわ市場

 

 

十五日まで、朔さんで

沓沢佐知子 立体造形作品展

開催されています。(十一時~十六時)

鹿カレーもいただけますよ

むらのわに絵を描いてくれる佐知子さんの

作品展。こちらも是非お出掛けください。

朔 美杉

 

 

 

 

 

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「世界はうつくしいと」

長田弘さんの、詩集です。

 

こんな風に丁寧に

ことばを扱う人がいるなら

まだ

ことばにできることがあると

希望をもてます。

 

なかに、

「すべての人間の不幸は、

部屋に一人で静かに座っていられないことに由来している。」

という、パスカルのことばが引用されていて

 

あぁ、そう

今度こそ、そのように生きてみようと

自分を定めているところです。

 

一人で静かに座る、小さな自分のなかに

大きな大きな宇宙が、広がってくる。

 

そのように暮らすことが

伝える、ということに(不思議だけれど)なる。

そんな気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

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土用

六月くらいまで、集中する力が働いていて

それから弾けて、まとまらなくなり

いま

少しずつ、自分本来の力加減に戻ってきているような

そんな感覚です。

 

そんな心の動きをよそに

田んぼの稲はぐんぐん生長し

いつのまにか穂に米粒がついています。

 

畑も草刈りをしていると

昨年や、もっと前の種から芽吹いたのか、

ひょいと伸びている葉っぱに出合います。

 

何にもないのに、

何を糧にこんなに生えてくるんだろうと思い、

何にもないから生えることができるのだと

ふっと、気がつく。

その繰り返しです。

何もなければ、大地はこんなにも力強い。

 

土用は、自分を見つめる良い機会。

心に生まれた色々なものを

よくよく吟味しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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七月のむらのわ

雨の後、勇気を出して畑に行ったら

そこは奥深い、ジャングルになっていました。

(草刈りのさぼり過ぎ)

 

シュッとしたのやら、柔らかいのやら

草丈一メートルの草原に

埋もれるように、いつか蒔いた大豆や落花生

きうり、茶綿が葉を広げ、

蒔いてなくても出てきてくれる赤紫蘇や

ワイルドチェリートマトが伸びていた。

植えたときのまま、一向に育たない韓国唐辛子の苗。

いや、少しは大きくなったよね。

バジルは何度植えても虫に喰われてだめだったけど

ごまとハブ草の苗は、無事に生えていてくれる。

きっと虫にはおいしくないに違いない。

背丈ほどになって咲いている、人参の花と

実をつけたディル。多分、ディルだと思うのだけど

もしかしたらフェンネルかもしれない。

よく分からない。食べきれないくらいなってるから

皆に配りながら、どちらなのか訊いてみる。

春にもらったレモングラスもぐんと伸びていた。

 

夏野菜、この時期に、この大きさでは

実がなるのは秋になってから。

今は、ネギとかニラとか、ジャガイモ掘り。

ちょっと前に、ひとつだけ実をつけたスモモを食べた。

スモモの味がした。

秋に植えたアリウムが丸い赤紫の花を咲かせている。

なんにもしなくても生えてくる、このひとたちの

糧はどこから来るのだろうといつも思う。

畑には、なにも入れていない。

思い出したように一掴みの糠をまくけど

それだって年に二回くらい。

このひとたちは、なにを食べて生きているのだろう。

なにもなくても、生きている。

 

あ、むらのわでした。

明後日の市場は、お結び弁当と杉の下駄。

おむすびと、ジャガイモと玉ねぎ、

池田さんちのズッキーニでおかずを作ろうと思います。

ディルだかフェンネルだかの種も入れましょう。

 

のんびりと、遊びにいらしていただけたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「夜の歌」

新聞に載っていた、なかにし礼さんの記事を読んで

彼の作品に、初めて触れました。

小説ですが、戦争を体験した自伝が軸になっていて

圧倒的な体験の数々に、読むほど言葉を失くします。

 

この人が人生を通じて背負ってきたものを

私はひとつでも背負って生きられるとは思えない。

人間一人が抱えることのできる闇の深さ大きさに驚く。

 

ひとつ、そうだろうと思っていることがある。

 

戦争を憎む世代によって平和がもたらされることはない。

平和を愛する世代によって平和はもたらされる。

 

だから、事実を知った上で、すべきことは

ただ平和を求めることだと信じている。

 

戦争によって、肉親によって

与えられた闇を、彼は、全て、受け容れた。

愛の人なのだと、思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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六月のむらのわ

雨が降ると草がわぁーっと生えて

あぁ、草刈りせねば、と思うのですが

草の勢いの方が上。

そういうときは、立ち尽くすし

いのちの勢いに圧倒されてしまう。

小さな苗が埋もれて消えないように

こつこつ、またやり始めます。

やると言ったって、暑いとか疲れたとか

すぐに家にひっこんで休むのだけれど。

 

明日はお結び弁当と杉下駄、

手縫いものを用意しています。

どんな一日になりますか、楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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